11月 -「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.50」「Piano Concerto No. 2 in C minor, Op. 50」(1920年―1927年)

筆者の考察

メトネルの作品の中で私が一番好きなこちらの協奏曲。一番最初にこの曲を聴いたときには雷に打たれたような感動を覚えま

ラフマニノフとメトネル
ラフマニノフとメトネル

した。特に第1楽章(トッカータ)は、リズミカルなピアノの独走から始まり、何かが起きると思わせられるダイナミズムと完璧なオーケストレーションには圧巻です。何度聴いても心の底から何かを奮い立たせる言葉にはならないものがあり、メトネルの数ある作品の中では最高レベルの完成度を思わせられます。この協奏曲は友人のラフマニノフに贈答され、ラフマニノフはピアノ協奏曲第4番をメトネルに贈答されています。下記のWikipediaのトッカータ(伊: toccata)の説明にある調子、調律を見るための試し弾きのように、異国の地での新しい未来への期待と希望にあふれんばかりの熱情を感じさせます。

第1楽章のトッカータ(伊: toccata)とは、主に鍵盤楽器による、速い走句(パッセージ)や細かな音形の変化などを伴った即興的な楽曲で、技巧的な表現が特徴。toccataは動詞toccare(触れる)に由来しており、オルガンやチェンバロの調子、調律を見るための試し弾きといった意味が由来です。最初期の鍵盤用トッカータは16世紀中ごろに北イタリアで現れました。

 

背景(Wikipediaより抜粋、改訂あり)

メトネルとラフマニノフ
メトネル(左)とラフマニノフ(右)

1917年にロシア革命が起きたのち、友人であったラフマニノフに続いてメトネルは亡命の意図のないまま演奏旅行の名目でロシアを後にしている。

この協奏曲は、メトネルが1920年から1927年にかけてパリにて作曲したピアノ協奏曲[1]。1928年に出版された[2]。初演は1927年にモスクワにおいて、作曲者の兄弟の指揮により行われた[1]。2004年1月23日、サントリーホールでマルカンドレ・アムランの独奏、オッコ・カム指揮の東京フィルハーモニー交響楽団により日本初演されている。

既にコンサートピアニストとして数年のキャリアを積んでいた[3]当時、ラフマニノフは「ピアノ協奏曲第4番」の作曲に取り組んでおり、これら2曲は互いに贈答しあう形でそれぞれ献呈されることになる[1][2][3]ソラブジはこの曲を高く評価していた[1]。メトネルは1948年にイサイ・ドブローウェンの指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、この曲の録音を遺している[1]。日本初演は2004年サントリーホールにおいてマルカンドレ・アムランピアノオッコ・カムの指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で行われた[4]

 

演奏時間

約36 - 38分[1][3]

実際のメトネルの演奏:https://www.youtube.com/watch?v=D2p-PUA0fGs&t=895s

楽曲構成

3楽章制である。

第1楽章 トッカータアレグロリゾルート ハ短調 4/4拍子

ソナタ形式。ピアノ独奏による鋭いリズムで開始される。第2主題は対照的に抒情的なものである[3]。再現部では管弦楽のみで第1主題が奏でられた後、約80小節にも及ぶ大規模なカデンツァが第2主題の再現の役割も受け持つ。

第2楽章 ロマンツァ、アンダンテコンモート 変イ長調 3/4拍子

抒情的な性格の主題で開始される。中間部ではホ長調へ転調、カンデツァを経てハ短調へと転じアジタートの激しい楽想となる[1]。変イ長調へ戻って穏やかな主題を再現したのち、アタッカで第3楽章へ続く。

第3楽章 ディヴェルティメント、アレグロ・リゾルート・エ・モルトヴィヴァーチェ ハ長調 3/4拍子

ロンド形式[1]。祝祭的な舞踏の音楽である[3]。幾度か転調を繰り返したのち、ハ長調で明るく締めくくる。

 

脚注

出典

  1. a b c d e f g h Hyperion The Romantic Piano Concerto, Vol. 02 – Medtner 2 & 3”. 2012年12月6日閲覧。
  2. a b IMSLP Piano Concerto No.2, Op.50 (Medtner, Nikolay)”. 2012年12月6日閲覧。
  3. a b c d e CHANDOS Medtner Concertos Nos 2 and 3 ブックレット ” (PDF). 2012年12月6日閲覧。
  4. ^ ニコライ・メトネルのページ”. 2012年12月6日閲覧。

 

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋、改訂あり。